七夕の日、思い出してしまう。──『おやすみプンプン』が胸をえぐる夜
七夕の日、ふと思い出してしまう。
7月7日。
空を見上げて、星が見えたとしても見えなかったとしても。この日になると、決まって脳裏に浮かんでしまう物語がある。
それが、浅野いにお先生の代表作『おやすみプンプン』。

それも、あの逃避行の夜と、短冊のシーンだ。
「もしあたし達が離れ離れになったとしても、七夕の日はお互いのことを思い出そうね」

この一文が、毎年SNSで拡散され、思い出される。ただの名言じゃない。これは、記憶の引き金。
七夕という日が、作品世界と読者の心をつなげてしまう“装置”になっている。
作者の浅野いにお先生が自身のSNSで毎年愛子ちゃんのイラストを投稿するのもその一つである。

プンプンと愛子、たった一度の逃避行
物語後半、プンプンと愛子はすべてを捨てて“逃げる”。
逃げた先は、鹿児島の種子島──かつて二人が「行こうね」と約束した場所だった。
でも、それは“ただの旅行”じゃない。過去に縛られ、今に苦しみ、未来に怯えながら、彼らは「叶えられなかった願いの残骸」を抱いて南へと向かう。
種子島に着いたその日、町は七夕祭りの準備でにぎわっていた。そこにいた愛子が、ぽつりと願いを書く。
「あなたがずっと私を忘れませんように」

その短冊は、読者の胸に深く突き刺さった。切実で、どこまでも勝手で、けれど、どうしようもなく真っ直ぐな願い。
なぜ“七夕に”話題になるのか
七夕とは、本来「願いごとをする日」。
だけど、『おやすみプンプン』で描かれる願いは、そんな“希望”とは程遠い。
失いたくない、忘れないで、ほんの少しでも、愛されたかった――
“祈り”の裏側にある「絶望」と「執着」。その人間の生々しさが、この日になると、なぜかやけに沁みる。
そして、こう思う。
「叶うはずのない願いを、それでも書いてしまう私たち」もまた、プンプンと愛子の延長線上にいるのかもしれないと。
七夕は、「ふたり」を思い出す日
愛子の短冊が“読者の記憶”に訴えかけていると指摘されていた。
「読者も、七夕の日にプンプンと愛子のことを思い出すようになる」
→ 願いそのものが、メタ的に“効力”を発揮してしまう構造。
それはつまり、愛子の「忘れないでね」という願いが、現実の私たちの中で叶い続けている、ということだ。
だからこそ、七夕が来るたびに、あの名シーンがTLに流れ、誰かの胸をまた静かに締めつけていく。
結びに:七夕の夜に、もう一度プンプンを
『おやすみプンプン』は、読むたびに痛い。けれど、読み終えたあと、少しだけ優しくなれる。他人のどうしようもなさを受け入れられるような気がする。
七夕は、ロマンチックなだけのイベントじゃない。それは、叶わなかったこと、叶わないかもしれないことをそれでも願ってしまう、切なくて、祈るような夜。
そんな夜に、『おやすみプンプン』を思い出してしまうのは、きっと、自分のなかの“愛子”や“プンプン”に、まだ少しだけ寄り添いたいからなのかもしれない。

[1-2,4-7]浅野いにお、『おやすみプンプン』、小学館、ヤングサンデーコミックス
[3]Instagram asano_inio